村岡地区は、藤沢市の南東部、鎌倉市、横浜市に接したエリアで、歴史ある地です。

このホームページでは、村岡地区のまちなみ、施設、歴史などを少しづつ紹介してまいります。

 

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村岡地区内の町内区分

Google Mapを使って、町内を色分けしてみました。http://goo.gl/maps/STKLZ改めて飛地があちこちにあるのが分かります。村岡の成り立ちが、もともと5つの農村で、それぞれ名主が治めており、その私有
新林公園

新林公園(3)自然散策路

新林公園の山は、自然散策路が整備されています。 全長約1.5kmあります。 山の高さは標高約70mで、公園の入口付近の標高が約10mですので、 標高差は60m程度です。 ただし、何度もアップダウンを繰り返すのと、急な階段

新林公園(2) 古民家

新林公園には、柄沢の名主小池家の旧邸(1841年築)と 渡内の名主福原家の長屋門(江戸時代後期築)が移築されています。 小池邸は、土間に入ることができ、内部を見ることができます。 太い大黒柱と立派な梁があり、座敷には囲炉
新林公園
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新林公園(1)

村岡地区を代表するレジャースポットといえば、なんと言っても新林公園だと思います。 村岡地区の南西部にあり、片瀬地区と鵠沼地区に接しています。   公園は全体で、16.2haの広さがあります。 芝生広場、大型遊具、池、湿地

平良文の塚

二伝寺の墓苑に入り、奥に進むと竹林があります。 それをさらに進んでいくと、「村岡五郎平良文公墓前碑」があります。 左側に少し下ると、「塚入口」の石碑があり、細い階段を上ったところに、 平良文、その子忠光、孫忠通の塚があり
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村岡城址公園

村岡城址公園は、村岡地区の中でも小高い丘にあります。  およそ10世紀の中ごろに、平良文(村岡五郎)が居城として築いた跡と言われています。 公園には、入口近くに、小さな子供向けの滑り台や砂場などのあるスペースがあり、 奥

むらおか歴史の道

現在の村岡は、昭和30年代以降の工場進出や、今も続く土地区画整理事業などで、 どんどん変化している地区ですが、もともとは平良文(村岡五郎)に端を発する歴史の 古いまちです。 「むらおか歴史の道」というガイドブックがあり、

洪水ハザードマップ

台風18号により、昨日、今日(9/15,16)にかけ、各地で大雨による大きな被害がでました。 藤沢市でも、数戸で床上浸水があったようです。 村岡地区は、2本の河川が流れています。 北から南にかけて境川、東側から東海道線に

村岡市民の家(2)

村岡市民の家に用事があって行ったところ、「村岡」の地名についての看板がありました。 次のように記載されています。 村岡(むらおか)  村岡は「新編相模國風土記稿」には、「・・村 岡は最古き地名にて、平良文当郷に住し、 村

地域子供の家

地域子供の家は、子どもたちが身近な場所で、自由にのびのびと遊べるように、そして、心身ともに健やかに成長することを願って建てられた施設です。 施設は、木造平屋建てのワンルーム形式で、施設の内外には、ユニークなアスレチックの

児童クラブ

児童クラブは、保護者が就労や看護などの事情により、放課後留守となる家庭の 小学校1年生から4年生までの児童を預かってくれる施設です。 学校が終わった後、19時まで預けられます。 藤沢市では小学校区ごとに児童クラブが設置さ

市民の家

市民の家は、「市民のだれもが,一定のきまりの下に,自由に集い,語らい,学び,及びふれあう場」として設けられているコミュニティ施設です。 現在、市内に41ヶ所あり、全ての小学校区に設置されています。 使用料は4時間で200

村岡公民館

藤沢市の公共施設は、主に藤沢駅周辺(藤沢地区、鵠沼地区)と 北部(湘南台地区、善行地区など)に集中しているため、多くはありません。 ですが、藤沢地区、鵠沼地区に隣接しているため、大きな不自由はありません。 地区内で一番市

村岡地区の小学校・中学校

村岡地区の子どもが通う公立の学校は、小学校が4校、中学校が2校あります。 藤沢市は、小学校区と中学校が重なっておらず、とても入り組んでいるため、 私の住む弥勒寺町内だけでも、  ①村岡小学校→村岡中学校  ②村岡小学校→

村岡地区の都市化

村岡は以前は「重なり合う岡のむれから成り立っている」場所でした。 昭和16年に鎌倉郡村岡村から藤沢市に編入された時の人口は2,600人余り、300戸で、 住民の多くは昔から続く農家だったそうです。 昭和30年代中頃から、

村岡のいわれ

  村岡は以前は起伏が激しく、坂が多かったことからつけられた地名と言われています。 「村岡という地名は、重なり合う岡のむれから成り立っている、この村の地勢をよく 表している」(「わが住む村」山川菊栄 昭和18年