渡内日枝神社は藤沢市渡内3丁目にあります。
日枝神社の由来
渡内の日枝神社は渡内の鎮守となっておりますが、
発祥は裏山の台地宮山に平良文が京都より延長年間
(九二三〜九四〇)宅の守護神として日吉山王大権現
(大山咋命)を勧請したと伝えられています。その後
応永二十七年(一四二〇)に福原家のご先祖、福原左
衛門平忠次が現在地に移し、そのおり平良文の霊を
合祀しました。
尚、慶長十二年六月(一六〇七)福原孫十郎重種が
再建する旨の棟札があります。社前の石段上り口に
神鏡石燈籠があり、「村岡山王大権現御宝前石燈二
基、平良文の遠縁村岡良綱、天保六年正月吉日(一八
三五)建立」とあります。
尚、現在の本社覆殿は、天保九年十一月(一八三八)
福原家のご先祖、福原高峯が発願主となり、村の有
志達によって再建されたものであります。その後、
地域の開発が行われ、渡内東土地区画整理事業(平
成十七〜二十一年)によって周辺の環境の変化に伴い、
土地の造成工事が行われ、合わせて神殿の増改築を
行い、現在に至っております。
設置年月 平成二十一年八月
渡内日枝神社
右側の祠は渡内四丁目一番(県道小袋谷・
藤沢線沿いの「渡内バス停北側)辺りにあっ
たもので、平成十年(一九九八)区画整理事業
に伴い移設したものです。
中央の祠は峯渡内村の名主家にあったもの
で、その位置は現在地より東に七〇メートル
程行った所です。平成二十年(二〇〇八)区画
整理事業に伴い移設したものです。
左の祠は坪井三社大権現で、現在地より
北東に一四〇メートル程行った藤沢市本在寺公
園の山頂に祀ってあったものです。坪井三社
大権現とは、源頼義・義家父子の二人に加えて
徳川家康の分霊を祀った祠のことをいいます。
弁財天
藤沢市の東部に位置する村岡地区(七地区)の歴史をたど
ると、古事記に縁があると言われます。
由緒あるこの地域に平成八年暮れ、村岡郷土史研究会
のお導きで、お寺や神社に七福神を祭って「和と幸せをも
たらすように」との地域の人たちの願いを込めて、新たに
七福神が各地区に設置されました。
この渡内日枝神社に設置された弁財天は、インドの河の
神「サラスヴァティ-」が起源とされています。この神は
世界創造の際、言葉や音楽を作ったとされ、また中国に伝
わり、人々に弁財を与え、天災を徐滅させる仏神に変わり、
日本に伝わったと言われています。
芸能、芸術、文学、学問の才能、金銀財宝授与にご利益
があります。
設置年月 平成二十一年八月
渡内日枝神社