村岡のいわれ

 

村岡は以前は起伏が激しく、坂が多かったことからつけられた地名と言われています。

「村岡という地名は、重なり合う岡のむれから成り立っている、この村の地勢をよく
表している」(「わが住む村」山川菊栄 昭和18年著)と本にも記されています。
現在は、藤沢駅北口から東側に村岡トンネルを抜け、武田薬品、大船フラワーセンター、大船駅に通じる県道はほぼ平坦な道のりで、今では想像もできませんが、昭和40年以前は、今の道路はなく、ほとんどが岡と谷だったそうです。
 
歴史上、村岡の名称がでてくるのは、約1,100年前に村岡に平良文が居を構え、村岡五郎と名乗ったことが最初だそうです。
平良文は、日本史で学んだ「平将門」の叔父で、将門の乱にも登場してくる人物です。
余談ですが、子どもの頃見たNHK大河ドラマ「風と雲と虹と」にも登場していました。
それにしても錚々たるメンバーが出演していたんですね。
 
その後、村岡は鎌倉郡村岡郷となりました。明治11年の郡区町村編制法で、鎌倉郡柄沢村、弥勒寺村、渡内村、高谷村、小塚村、宮前村、川名村の7村となり、村岡の地名が一旦なくなります。
その後明治22年の町村制で、それら7村が鎌倉郡村岡村に統合されました。
昭和16年に藤沢市に編入され、現在に至っています。
村岡という地名は現在は実際にはなく、村岡東という町名に残されています。

 

湘南村岡不動産株式会社
No tags for this post.