寛文四年庚申供養塔は藤沢市村岡東二丁目にあります。
高谷交差点にあるファミリーレストラン「ガスト」の駐車場入口にあります。
ネットフェンス越しにありますので、少し見つけにくいかも知れません。
市指定重要文化財(有形民族文化財)
寛文四年(一六六四)庚申供養塔
庚申信仰について
これは十干・十二支の組合せによって、六十日に
一度めぐってくる「庚申の日」に、その夜を眠ら
ずに過ごして無痛・息災・長寿を願う信仰です。
この源流は、人の体内にあって、人命にわざわい
をおよぼす「三尸(さんし)」という虫の害をふせいで、長寿
を願う道教の信仰にはじまっています。
江戸時代、万治・寛文頃(一六五八〜一六七二年)には
仏教を背景に広く庶民に伝わり「庚申講」ができ、
庚申の夜、当番の家に集って飲食歓談したり、
供養塔を建てるなどの行事が盛んになりました。
現在、市内には三百数十基の庚申供養塔が確
認されていますが、このうちの十五基が藤沢市の
重要文化財に指定されています。
この近世庶民の素朴な祈願・信仰の遺産で
ある庚申塔をともども大切に保護し後世に
伝えてゆきたいものです。
昭和五十二年四月十三日指定
藤沢市教育委員会
寛文四年(一六六四)庚申供養塔
庚申信仰について
これは十干・十二支の組合せによって、六十日に
一度めぐってくる「庚申の日」に、その夜を眠ら
ずに過ごして無痛・息災・長寿を願う信仰です。
この源流は、人の体内にあって、人命にわざわい
をおよぼす「三尸(さんし)」という虫の害をふせいで、長寿
を願う道教の信仰にはじまっています。
江戸時代、万治・寛文頃(一六五八〜一六七二年)には
仏教を背景に広く庶民に伝わり「庚申講」ができ、
庚申の夜、当番の家に集って飲食歓談したり、
供養塔を建てるなどの行事が盛んになりました。
現在、市内には三百数十基の庚申供養塔が確
認されていますが、このうちの十五基が藤沢市の
重要文化財に指定されています。
この近世庶民の素朴な祈願・信仰の遺産で
ある庚申塔をともども大切に保護し後世に
伝えてゆきたいものです。
昭和五十二年四月十三日指定
藤沢市教育委員会